大学では「相談援助演習」という授業があり、実践のための基礎練習をします。
学生さんのおかげで思ったのが、私たちは「自分の考え方」に目を向けるのが大事ということ。
相手への言い方を練習する必要もありますが、そもそも私は何を思ってこう言うのだろう?とチェックしてみる。根本にとどまって、こだわる。
そうすれば援助者である自分が、相手を通して「何」を見ているかが浮かび上がってきます。
架空事例を通して
- 80歳代、女性のひとり暮らし、親族なし
- 退職後も趣味などを通して交流があったが、パートナーをなくしてからは、ひとりで過ごすことが増えた
- ご本人は「このままで何も問題ない」と民生委員に話している。サービス利用の意向は分からない
ほかにも具体的な状況を想定しましたが、ここでは割愛します。
- 「60歳代の頃の趣味を勧めて、福祉事業所のサービス利用を紹介する」
- 「自宅で過ごせるよう、在宅サービスの利用を勧める」
学生さんが「案」を考えているとき、私は聞きました。
この人は「どんな人」だと感じていますか?
私は自分の言葉を聞きながら、自分に向かって同じことを言っていました。後から
私は、相手の価値を「低く」見ていないだろうか
と気にしていたことに気づきました。
2016年の相模原事件から引っかかっていること
あの事件からは大きな衝撃を受けました。さきほどの事例でも、こんなことを自問していました。
- 私の考えに、彼と「地続き」なところがあるのだろうか(いや否定したい)
- 「どんな人」という問いは、人のラベリングにつながらないか
- 社会的な価値を査定する、優劣といった視点を自分がもつ、こんなの嫌だ。一番抵抗したいことなのに
ようやく言葉が出てくるようになりました。直面したくなかったけれど、私にとって向き合うタイミングなのだと思います。
人を大事にすること。それが当たり前に、ありのままの価値が尊重されること
そのために本質的なことを掘りさげていきます。