ソーシャルワーカー事務所の長楽庵です

長楽庵(浅沼尚子・太郎)の事業所ブログです

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人の価値はただ「ある」もの-価値をはかろうとした自分を振り返って

前回の記事を書いた後で思いました。私はいつから「評価する立場」になったのだろうと。

私は、相手の価値を「低く」見ていないだろうか

相手を尊重することが大事とか、その評価が高い低いといった問題ではありません。

なぜ私は誰かの価値を「値踏み」してしまうのか、気になりました。

  • 適切な援助を提供するため(アセスメントという「評価」)
  • 援助が必要であることの理由づけ

こうやって理屈はつけられますが、思い当たるのは次のことです。

説明を求められたときに答えられるように。このとき私の目は本人に向いているのではなく、本人以外を気にしている。責められないようにと怖がっているのです。

相手を大事にするための「評価」が、自分を守る「口実」になっているのではないか。

いまの私にとって難題にぶつかりました。

私は何を思って、相手に伝えているか

そこで具体的に考えてみます。

たとえば拘置所で面会するとき、相手にどんなことを感じているだろう。

  • これまで、どんな人生を送ってきましたか
  • これから(判決後)どうしていきたいですか
  • ここにくるまでの経緯を、どう感じていますか
  • また困ってしまったときに、どうやって対処しますか

いろんな事情を抱えているので、こう聞くとは限りません。

でも質問の答えに関係なく、あなたはあなたの人生を取り戻してほしいと願っています。このときの私は「相手に価値がある」と信じているだけで、どのように評価すればよいか等と考えないことに気づきました。

あなたの価値ある人生を生きてほしい

人の価値は前提に「ある」もので、たとえ犯罪をおかしたとしても根本的な価値は「揺らぐ」ものではありません。起訴された「罪名」によって、私の姿勢が変わる訳ではないからです。

それなのに、どうして価値を判断しようとしたのだろう(おこがましさを反省中)。

相手には高齢、病気、障害、生活困窮などがあり、社会的な支援を必要としています。

焦点をあてるのは、さまざまな事情であり環境面です。決して、前提の「価値」ではなかったのです。

他者に対しては、こう考えています。次の課題は、自分にも同じように価値を認められるかということ。きっと両者は切り離せないと感じています。でも、まだ実践はできません。

倉園佳三さんのパーソナルセッションを通して考えたことを書きました。

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